2014年8月19日(火) 10時~12時
株式会社ホウユウ 太田久年さん 太田利江さん
とにかく「何かが違う」。会社に一歩入った瞬間に感じたことです。
一見普通のオフィス、普通に働く人々。挨拶をしながら2階に通され、椅子に座って
もその「何か」が分からないまま、8月の企業訪問はスタートしました。
今回は株式会社ホウユウを訪問しました。太田社長の起業は平成2年(1990年)。
東京の設計会社に4年勤めた後、24歳、春日部で独立されました。
この時代、バブルが終わったばかりで、高専卒なので同い年の大卒生よりも早く社会に出て、
仕事は沢山あったのですが、先輩に誘われて仲間で起業しようとしたのだそうです。
しかし勢いだけだった(本人談)のでスタート前に失敗。(その時は今の業務内容ではなくガス関係だったそう)
辞めた会社が軌道に乗るまで仕事をくれたそうです。
会社は「工事」と「設計」の部門に分かれていましたが、工事をやると言っていた3人が辞めて、残ったのは
設計の3人。ここからホウユウは始まりました。
1年くらいで食べていけるようになり、アルバイトも雇うころには部屋も手狭になったために南浦和へ引っ越し。
ところがここで経営がうまくいかなくなってしまい、どこかで勉強したほうが良いと思ってさがしたところ、
同友会を紹介されたそうです。
そのころ太田さんはまだ社長ではなかったのですが、同友会で勉強した内容を会社(社長)に伝えてもなかなか
伝わらないことがつづき、経営者の知り合いが増えてくるにつれて「自分が(社長を)やったほうが良いのでは・・」と
思うようになったとか。そのころ利江さんとのご結婚もされています。
そんなある日社長が会社を辞めてしまいました。エンジニアとして経営にはタッチしないで、仕事だけやっていきたいと。
会社をやれよといわれて引き継ぎ、2,000年に事務所を南浦和から吉川に移転されました。
仕事が山ほどあり、社長になって初めてプレッシャーと責務を実感。忙しさのあまり社員とも心が離れて
皆やめてしまったそうです。
もう会社をたたもうか・・と思っていたところで経営指針セミナーに参加。3年くらいつづけてやっと、
「こういう風に経営したいんだ」と。ここまで16年かかったが、はじめからやっていたら凄かっただろうなあと思ったそうです。
初めて経営指針を作ってから10年。作ったから良くなったとは言えないと仰いました。
10年経ってようやく「できる」ようになった。最初はつくっただけでうまくいかないけれど、毎年更新して作り直しては見せての繰り返し。
文面とやっていることが違っては、社員に見抜かれてしまうと笑っていらっしゃいました。
こうして少しずつ上向きになってきたところで政権交代があり、またしても業績が落ち込みます。
社員とどうしようと話し合っていたところで大震災があり、ここでまた流れが変わったそうです。
現地に応援(調査と、それをもとに復興の予算を立て、図面をかく等の仕事)に誰か出してくれと言われた時、
社長自らが手を挙げて参加されたのですが、結果的には順番に社員のほとんどが現地入りしたそうです。
社員にとっては、自分達の仕事が目に見えたこともあって、意識が変わったように思うと話されていました。
2万人の方が亡くなった。でも、自分達は生かされた。だから、がんばろうねと。
いつもクールな印象の太田さんの、とても熱い一面を見せていただいたような気がしました。
お話の後オフィスの見学をさせていただきましたが、ここで最初に感じた疑問が解決!!
3S活動を完璧に近い(まだまだと仰っていましたが、本当に素晴らしい)形で実践されていたのです!
徹底してすっきりと無駄のない職場環境。何かが違うと感じたのは、社員の皆さん全員の努力と向上心が形に
なっている職場だったからなのだと思い当たりました。
最後に利江さんが仰っていた、「ここまでは簡単。この先どう改善していくかが難しい」との言葉が印象的でした。
太田社長、利江さん、そしてスタッフの皆様および訪問に参加していただいた会員の皆様、
お忙しいところ大変有難うございました。
今回の企業訪問の様子を鈴木一朗副委員長がダイジェストの動画にまとめて
くださいました。こちらも併せてご覧ください!!
参加者:長田・黒田・藤井毬子・鈴木・白川・宇野・吉田(順不同・敬称略)
記事:吉田理子