広報委員会

インタビュー 企業訪問
テーマ 企業訪問 株式会社ニイザカファーム様 
日 時 2023年11月21日(火)10:00~14:30
会 場 株式会社ニイザカファーム 様
報告者 中島 実氏、新坂 真之氏、関係者2名
内 容

日時:2023年11月21日(火)10:00~14:30
参加メンバー:太田、小川、島袋、鶴岡、黒田、加藤、鈴木(一)、上野
訪問先:中島ファーム 代表 中島茂氏、㈱ニイザカファーム 従業員2名
合計11名(委員会内 敬称略、順不同)
越谷駅西口に集合して、分乗して企業訪問先に向かいました。晴れた素敵な日和で、「今日はどんなお話が伺えるのだろう」と皆心わくわくの出発になりました。中島様と新坂様は東部支部でも珍しく農業に従事されており、お二人同時に本年の4月に入会されました。
入会前の例会にゲストで参加頂き、懇親会では「こんな楽しく色々話せる会があるんですね?」と言われたのが今でも印象に残っています。越谷駅から30分ほど春日部方面に向かうと閑静な住宅街になり、そこにポツンとビニールハウスが見えてきました。そこが本日の訪問先でした。中島様と㈱ニイザカファーム様のご家族の方と従業員の方が温かく出迎えてくださいました。中島様と新坂様は農業をしながら、越谷特産の「太郎塀餅もち」を作り販売されています。農業含めて、「太郎兵衛もち」へのお取組みや苦労話、思いを伺いました。

ここで前置きで、「太郎兵衛もち」に関して説明いたします。太郎兵衛もちは慶長年間(1596年~1614 年)に当時の四丁野村(現在の宮本町)の名主であった会田太郎兵衛氏の手により選抜育成された水稲もち品種です。作出した会田太郎兵衛氏の名前を称して「太郎兵衛もち」と呼ばれるようになりました。その後、徳川家康に献上され、大奥御用のもち米としても献上されるようになりました。明治から昭和の初期にかけて隆盛を極め、天皇家への献上や宮内省の御用を勤めました。昭和17年に食糧管理法の施行により、全国統一の格付け等級別が開始され、政府売渡し価格に他の品種と差がないため、収量の低い太郎兵衛もちは敬遠されていくこととなり、栽培農家は一時、1戸にまで減少しました。
越谷(出羽地区)で育まれた「太郎兵衛もち」の保存・復活のため、平成5年から、栽培農家と埼玉県・市・JA越谷市の連携により、品種を保存しようという取り組みが始まりました。また、平成10年からは農家 10 戸による越谷市太郎兵衛もち協議会を組織し、400 年の歴史を今に伝えようとがんばっています。中島様は、今この協議会の会長をなさっています。この太郎兵衛もちの米は収穫量が少ないことからコメだけでは売れないと判断し、中島様が餅加工を協会に提案しそこで新坂様と他1名でスタートしたそうです。新坂様とは親の代からお付き合いがあり、親戚のような間柄だそうです。当初は、餅加工を提案したものの、販売方法もわからずすべてが手探りでした。太郎兵衛もちの特徴は、普通のもち米よりこしがあり食感がいいところだそうです。またその年に取れたもち米を加工して作られるそうです。販売に際しても袋詰めのカビのクレームで初めてお客様から色々封入方法を教わったそうです。そんなご苦労もあり、きっと徐々に愛着がわいてきたのかもしれませんね。またこの貴重な種を保存するのにも大変なご苦労されており、優良な種の採取から始まり、作付けするまでまる2年の歳月をかけるとの事でした。そしてもう20年も取り組んできたとのお話でした。

今日は、広報委員会の各メンバーからも色々なお手伝いの提案があり、まさしく「これぞ同友会!」と思わせる素敵な1日でした。最後に㈱ニイザカファームのお若い後継者と従業員の方が農業に対する夢を語ってくださいました。越谷の農業の未来も明るいなと思わせる素敵なお話でした。今日は1日この「 太郎兵衛もち」に大きな夢を見させて頂いたように思います。是非この太郎兵衛もちが、同友会を通じて越谷特産として大きく日本中に広がっていくこと心から望みます。
(記事担当 小川 洋一)

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